純烈のメインボーカル、白川裕二郎さんは2002年に忍風戦隊ハリケンジャーの霞一甲役で出演していました。
ちょうどその頃、イケメンヒーローブームの時代でしたから、主演の塩谷瞬さん等とともにすごい人気でした。
小さな子供を持つお母さんたちにとっては、忙しい子育ての合間の、ちょっとした潤いのひとときだったと思います。
イケメンブームとヒーローブームが重なって、一種の社会現象にもなり、注目度が高かったです。
また、ハリケンジャーのメンバーで洋服のブランドを立ち上げたこともあったとか。
そんな話を、詳しく調べてみました。
白川裕二郎さんは、18歳から相撲の世界に入るも、1日にお米1升のノルマをかせられ、
プロテインのスペシャルドリンクを飲んでも体が大きくならず、
1年で引退してから芸能界に転身しました。
まあ、実際は太れなかったというよりも、腰を悪くして相撲を断念したということのようです。
しかし、元力士でありながら、筋トレが好きということもあってスタイル抜群!
後楽園ゆうえんちのヒーローショーでは、
前作で純烈リーダーの酒井さんが主演していたガオレンジャーの人気を引き継ぎ大ブレイク。
当時の観客動員数を更新して、一躍脚光を浴びました。
白川さんの家族についてですが、俳優への転身のきっかけは母親だったようです。
力士を引退してからは、3年間フリーター生活があった白川さんですが、
そんな白川さんにお母さんが劇団のポスターを見せたことが、
俳優への道につながったといいます。
俳優を目指し始めてからも苦労を重ねてきましたが、
3年後ハリケンジャーの出演を果たすことになりました。
相撲から芸能界へと転身していった背景には、母親の存在が大きかったようです。
ハリケンジャーではカブトライジャーの兄役を演じていましたが、
実際にはお姉さんがいる弟なのです。
父親は、白川さんが小学6年の時に亡くなったために、
母親が女手ひとつでお姉さんと白川さんを育ててきたのですね。
それだけに、白川さんにとって母の存在は大きく、
誰よりも感謝したいという気持ちもひとしおだと思います。
純烈が、歌謡曲を歌うことで親孝行したいというのも、
白川さんの母に対する想いも込められているのかもしれません。
また、活動は休止になりましたが、
ハリケンジャー時代に共演した山本康平さんや西岡竜一朗さん等とともに、
anunnakiという洋服のブランドを運営していた時期もありました。
このような、ハリケンジャー時代からの経験や仲間との活動を経てきたことが、
後の純烈としてのデビューへとつながっていったのでしょう。
スーパー戦隊のイケメンヒーローデビューは、ちょうど良い時期でもありましたし、
ここからアイドル純烈の白川裕二郎が誕生したと言っても過言ではありません。