純烈で活動しているメンバーは5人ですが、もともとは6人でした。
2016年12月を最後に脱退したのが林田達也さんです。
純烈の前は、ヴィジュアル系バンドを組んでいて、
純烈のファンには、王子と呼ばれ親しまれていました。
林田達也さんのラストライブの会場になったのが、TOKYO FMホールです。
イメージカラーのピンクで、会場はいっぱいになりました。
純烈を脱退した林田達也のその後、デザイナーになったという噂について
純烈・林田達也の純烈脱退理由とは?
脱退の理由をネットで、詳しく調べてみました。
お母さんがステージ4の子宮頸がんで、お父さんが重度の糖尿病であることが分かりました。
さらに、8月におばあさんが亡くなったそうです。
家族に不幸があったため、両親に何かあったときに後悔したくなく、
実家で生活のサポートをすることを決意したとありました。
親孝行を第一に考えている林田さんですが、
彼自身も15年1月に腸の病気で2週間ほど休んでいます。
その時に、体調の維持管理は、大事だと改めて思ったそうです。
卒業することを発表されたファンは動揺しましたが、
純烈のメンバーも最終的には林田さんの意思を尊重しました。
これからファン層を広げようという時期の脱退でしたし、
林田さんは中年の女性に人気でしたので、かなり大きな決断をしたと思います。
純烈・林田達也の脱退後の希望とは?
純烈のメンバーは、
グループを結成した頃から親孝行・紅白出場・全国で唄うなどを目標にしているので、
他のみんなも納得したのでしょう。
林田さんは、9年間の活動にいったん、終止符を打ちました。
メンバーとは、家族以上に時間を過ごし、いつもライブができたのが、
良い思い出になっているそうです。
林田さんのソロには、小樽の地名が入った鶴岡雅義と東京ロマンチカの曲がありますが、
小樽は祖母と父が生まれた場所で、大切にしながら歌っているそうです。
16歳でメジャーを目指して、ビジュアル系バンドのボーカルとしてデビューしましたが、
縁あって、グループ純烈のメンバーとなりました。
これからどうするかは、決まっていませんが、ただ一つ前から決めていることがあります。
もし、何年後か分かりませんが、歌う機会があったら、
純烈以外では歌わないということです。
そんな魅力が、林田達也さんの人気につながっていると思います。
脱退後の林田達也の情報は少ない・・・
脱退後の林田さんのことですが、ネットで調べても出てこないので、
公表していないようです。
実家の方で、両親の世話や病院への付き添いなどをしているのではないでしょうか。
林田さん引退後のブログに、関連した記事がありました。
その記事の中には、
デザイナーデビューとか元純烈の林田達也さん来場とか書かれていましたが、
その先が見つかりませんでした。
復帰するような事があれば、その前に発表されると思います。
6人でのパフォーマンス、もう一度みてみたいですね。