今の姿からは全く想像もつきませんが、純烈のイケメン白川裕二郎さんは元力士なんです。
純烈メンバーは、おもしろい過去を持っている人が多いですが、白川さんもその一人。
もと大相撲の力士でした。
お相撲さんには、歌のうまい人が多いのかなっていう印象がありますが、白川さんもそうだったのかな?
というわけで(どういうわけだか)、今回は、白川裕二郎、力士時代の活躍と引退の真相をまとめました。
これは、知っといて損はないですね。
純烈・白川裕二郎は元力士。その活躍と引退の真相
純烈の元力士、白川裕二郎のプロフィール
ほんとに、力士だった?
そんな白川さんのプロフィールを見てみます。
まずは、白川裕二郎のプロフィールをおさらいです。
本名:白川裕二郎(しらかわゆうじろう)
生年月日:1976年12月11日
出身地:神奈川県横浜市
身長・体重:184cm/74kg
血液型:A型
職業:俳優、歌手
活動期間:2002年~
趣味:釣り、筋トレ
特技:また割り、サーフィン、スキー、スノーボード
好きなアーティスト:尾崎豊、ジョナサン・ラーソン
好きな作家・漫画家:原哲夫
ぜーんぜん、太ってないですよね。
いや、むしろスリム、お相撲さんとしては小さい。
元力士の方って、現役時代より痩せたと言っても、なんとなくぽっちゃりしている感じがあるんですけど、白川さんはちょっと違うみたい。
でも、これが引退の理由にもなるのかな?
力士現役時代の白川裕二郎
純烈 公式ブログを更新しました。 『4/21(金)フジテレビ 『みんなのニュース』純烈登場予定です!』https://t.co/ufoprS1sCU
— 純烈スタッフ (@junretsu_staff) 2017年4月20日
高校時代からスポーツをやっていて、運動神経がよかった白川さん。
高校卒業してから、なんと、スカウトされて相撲界に入ったんです。
それまでは、お相撲をしたことはなかったようですよ。
所属していたのは朝日山部屋。
1960年代くらいにトンガ出身の力士が入門して話題になったそうですが、そのご揉めて、トンガの力士がみんな廃業になり、プロレス界にはいったっていう歴史があるようです。
最近では後継者がいなくて苦労していたようですが、琴錦が他の相撲部屋から親方として引き継いでいますね。
活躍していたら、もしかして親方になっていたかも!?
土俵デビューしたときの四股名は「白川」。
まだ、そのまんまです。
髪の毛もまげを結えるほどではなかったみたいです。
それから、1年ほどして「綱ノ富士」という四股名をもらいます。
相撲の位では、最高序二段99枚目まで頑張りました。
横綱や大関くらいは知っていますが。。。序二段っていったいどのくらい?っていうとこんな感じ。
横綱
大関
関脇
小結
前頭(平幕)
十両
幕下
三段目
序二段 ←綱ノ富士ここ(130枚目まであり最高99枚目)
序ノ口
ちなみに、十両よりも上になると、関取と呼ばれます。
たいてい、みなさんここ目指すんじゃないですかね。
そして、幕下よりも下となると、まだ見習い力士ととなっています。
で、お給料も関取(十両より)にだけ配られるので、幕下の白川さんは力士時代は無給だったということになります。
一応、力士時代に60万円貯金したって言ってましたが、谷町さんたちにお小遣いもらってたのかな。
おつかれっす。
純烈の白川裕二郎、どうして力士を引退したの?
お相撲さんと言うと、やっぱり大きい方が得。
小さくても勝ちあがる人もいますが、階級がないわけですから大きい方が有利になるのは仕方がありません。
白川さん、やっぱり太れなかったんですね。
私にとってはうらやましい限りですが、強くなるにはそんなこと言ってられません。
太るために、いっぱい食べる。
一体どれくらい食べなきゃいけなかったのかと言うと、これくらい。
1日にお米10合(一升)
プロテイン入りのスペシャルドリンク
すげっ(;''∀'')
もちろん、これは最低のノルマであって、他にチャンコ鍋も食べたでしょう。
米いっぱい食べてもね~、太るには太るでしょうけど、筋肉をつくらないと。
ただ、白川さんはこの食べることがつらかったようです。
相撲界に入る新弟子テストでは、身長167CM以上、体重67KG以上あることがきめられています。
しかも、白川さんは芸能人スポーツマン決定戦で2位になったこともあるくらい運動神経がいいのです。
太れば結構上まで行けたんでは?って思ってしまいますが、胃袋がそうできていなかった。
また、もともと腰が悪かったそうなのですが、練習でさらに悪くしてしまって、これ以上続けるのは無理、と引退を決心します。
教訓!無理って思ったら潔く、早めに身を引くのも大切。
そのおかげで、純烈白川があるのですから( ´艸`)
白川裕二郎、力士から純烈への道
白川さんが相撲界を引退したのはまだ20歳前。
その後は、不景気も重なって転職先は見つからず。
バイトで3年間食いつないだそうです。
そこへ、お母さん登場。
芸能界に入ってみたら?と、白川さんに劇団員募集の紙を見せます。
それがきっかけになり、俳優への道を進みます。
そして、スーパー戦隊「忍風戦隊ハリケンジャー」でデビューします。
ハリケンジャーのレッドだった塩谷瞬さんとイケメンスーパーヒーローとして話題になったそうですが、そのあとは、やっぱり俳優としてもぱっとしなかったみたいです。
そんな時に、ちょうどハリケンジャーの前のスーパー戦隊シリーズに出演していた酒井一圭さんから声をかけられて、純烈に参加することになりました。
知っている人は知っていると思いますが、スーパー戦隊ものは新しいシリーズと一個前のシリーズがコラボした映画が公開されます。
シリーズでは共演していなかったリーダー酒井さんと接点ができていたんですね。
教訓!ご縁ってホント大事!
このご縁で、純烈に白川さんが入ったんですから。
というわけで、純烈白川裕二郎さんの力士時代についてまとめてみました。
なんでしょう、純烈って昭和臭い、味があるのって、こういった今はなき苦労をされているからなんじゃないかな、なんて思います。
そこが、受けているのでしょうけど。
さっき、テレビで見ましたが、純烈への差し入れは、仕送りみたいなものとか、お母さんの手作り的なものが多いそう。
息子が一人立ちしたお母ちゃんたちが、息子の代わりに愛情注ぐ対象になっているみたいです(^^♪
そんな愛されキャラは、昨日今日でできるものではなく、過去の苦労があったからなんだな、って思います。
これからも応援しちゃいますね♪